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―今の会社も辞めたい― Sさんのケース①

2016/03/01
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みらい総合心理研究所 所長 岸井 たみえ

 

●Sさん、36歳、SE、独身

会社の上司から勤怠が悪いこと、ミスが多くなってきていることでカウンセリングを受けてくるようにと言われて来所されました。

印象は真面目で、実直なタイプに見えました。口数も多くなく、こちらの質問に淡々と答えてくれます。体調を聞くと、「睡眠がとれず、朝が辛い、頭痛、吐気がしてやっと会社に行っている。勤務中に眠気に襲われ席を外すことがある」と話しました。今の仕事の状況は、客先での仕事が中心で週1回自社に戻ることがあります。自社に行く日は休暇を取ってしまい、報告は電話で済ませ、1日中寝込んでしまいます。

入社して5か月目になりますが、退社を考えているので、今後のことも相談したいという主訴でした。

 

SEの辛さ

私立W大学を卒業後、SEとして入社。入社動機は、モノ作りができること、PCに興味があった、一部上場企業で安心という理由です。

入社して3年目になるとサブリーダーとして、部下の指導と時にはリーダーの代役もこなさなければならず、残業も増えてきました。モノ作りが中心の仕事よりも客先との交渉や、部下とのコミュニケーションを取っていく時間が多くなり、対人関係が苦手なSさんにストレスが溜まっていく日が続きました。

サブリーダーもなんとかこなし、入社5年目でリーダー職に就きました。客先は大手企業で仕事に厳しい注文を付けてきます、その度にスケジュールの見直し、人員の削減、予算の見直し、部下の管理などで心身ともに疲れ切ってしまいました。睡眠が十分にとれていない朝を迎え出社すると、客先の課長から呼び出されました。テスト行程中に部下の大きなミスにより、納期が大幅に遅れてしまうことを知りました。罵声を浴びせられ、金を返せとまで言われたのです。

パワーハラスメントの事件になりかねません。その1週間後、Sさんは退職届を提出しました。

前職は、従業員1.000名のIT企業でしたが、次の就職先は100名程度の企業でSEとして再出発をしました。リーダー職は適していないことを伝え、技術職専門で働くことを条件に勤務することになりました。客先での仕事は短期プロジェクト(PJ)のオーダーが多く、半年、1年毎に勤務地移動があり、対人関係が苦手なSさんにとっては都合が良いものでした。しかし、Sさんの上司は面接時にW大学出身である肩書には大きな期待を持っており、管理職の立場での仕事を望んでいました。大きなPJの受注が入り、責任者として仕事をするように言われたのです。SさんはNOと言えず引き受けてしまいました。大きな後悔の始まりでした。

PJが動き始め、30名の部下を任されました。各企業の連絡会議でも、スキル不足のため理解ができず部下への報告も曖昧でクレームばかりの日が続きました。自分の実力は、自分で良く知っていましたが、肩書で期待されてしまうことに戸惑い、不眠が続きました。

2カ月経過したある朝、起き上がることができず、無断欠勤をしてしまいました。会社からの連絡が入りますが、一切拒否をしてしまいました。Sさんは、罪悪感と嫌悪感で苦しみました。午後、会社の上司と人事担当者が自宅を訪ねてきましたが、居留守を使い応答しませんでした。翌日も無断欠勤をしたため、会社は実家の父にSさんの様子を伝えて欲しいをと連絡がきました。その後父からSさんに連絡がきて、電話口で「仕事を投げ出して休んでいるなんて、無責任な男だ。俺に恥をかかせるな!会社に迷惑をかけた以上、退職しろ!」と叱責されました。

父に言われ傷つきましたが、辞めろと言われこれで解放されると少し安心したのです。2度目の退職届を出しました。

 

それからSさんは、以前から興味のあった音楽の専門学校に入学をし、夜はラーメン屋でのアルバイトをして生計を立てていました。

そんなある日、退職後の様子を知りたくて、突然両親が上京してきました。

Sさんの生活を知った父親は激怒し、「音楽で身を立てるなんて甘いことを考えるな!何のために大学を出たんだ。音楽で食えるわけがないだろう。いい年をして幼稚な考えでいるなんて情けない」とこぶしを握る手は震えていました。母はそんな父を気遣いながら、食事はどうしているのか、家賃は、洗濯はどうしているのかと細かい質問をしてきます。最後に両親は「ちゃんとした会社に就職しなさい」と言って帰りました。

 

3度目の就職

専門学校を辞め、3度目の就職をしました。SEの仕事しか経験が無いため、小さなIT企業に就職をしました。面接では、こんな高い学歴の人がうちの会社でいいのか、と言われました。また、同じように期待されていることを感じましたが、父の言った言葉が頭から離れず入社しました。しかし、客先との交渉ができず、アポをキャンセルしてしまい、受注できず、会社から解雇されてしまいました。

やっぱり自分はサラリーマンには向いていないと悟り、不安と苛立ちが続く日を送っていました。

 

決められた道

突然、母から父親が亡くなったという知らせが入りました。くも膜下で倒れ、その日のうちに亡くなりました。Sさんは父の死に目に会うことはできませんでした。厳格な父で、Sさんの活躍を何よりも望んでいました。小中高と私立に通い、大学受験の年には父は付きっ切りで、答えが分かるまで勉強に付き合ってくれました。父も某国立大学出身、商事会社で世界中を飛び回る働きぶりでした。当然、Sさんにも同じような道を進むようにレールを敷いていたのです。今まで、両親が決めた道をただただ歩いてきたため、自分で何かを決める自信がありません。本当に何をしたいのか、何が好きで、何が嫌なのか、考えずに生きてきたのです。大学に入学した時点で、勉強漬けだった自分を開放しました。ハードロック音楽に出会ったこともあり、勉強はほとんどしない日々でした。音楽に触れている自分が唯一幸せであった。それ以外幸せだと感じた日は無く、感情の動きもない日の連続だったのです。

 

次回は、Sさんの生い立ちから自立までのプロセスです。