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自立できない人たち

2010/04/01
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みらい総合心理研究所 所長 岸井たみえ

 

カーリング社員

最近の新入社員はカーリング社員と呼ばれています。

冬季オリンピックで有名なあのカーリングです。ストーンを氷上に滑らせ、競技者は目標に向かってブラシで氷上を必死に掃いていきます。

ストーンが新人で、ブラッシングする人が保護者、または管理者です。

「人の手をかりなければ前に進めない」という意味のようです。

子育てを例に挙げると依存度の高い親が子どものために失敗させることを恐れ、手をかし、親の力を見せつけ、子どもをコントロールした結果の産物です。

子どもに依存する親を一般的には過保護、過干渉な養育態度ともいいます。

そうしてうまれたカーリング社員は「要領がよい、自己顕示欲が強い、失敗したくない、人目を気にする、傷つきやすい、応用がきかない、指示待ち、広い対人関係が苦手、ゲーム好き、知識は豊富」という特徴を持っています。

 

現代の手のかかる若者と親との関係性

現代は親の方が子どもを必要としています。そして、子どもの全権を親が奪いとり、自分の世界観の中で子育てをしてしまいます。

親のパワーは強力で、本来は子どもの領域である「友人、進路、趣味等」まで牛耳ってしまいます。

なぜ、親はそのような強いパワーを持つことができるのでしょうか。

親が生きていくために、子どもは必要な存在だからです。

子どものためにという大義名分を掲げますが、実際は親のために子どもが必要なのです。

 

 

このような親の背景には依存する心理があります。

 

悲劇の嘱託殺人の連鎖

先月(3月)、神奈川県で起きたある嘱託殺人事件の判決がでました。

「息子の元に行きたい、殺してほしい」と、妻のA子さん(65歳)から懇願された夫(66歳)が、殺害してしまった事件です。

夫は警察に自首し、嘱託殺人の罪で起訴され、執行猶予となりました。

この事件には布石があります。5年前に難病で苦しんでいた息子の人口呼吸器をA子さんが取り外し、死亡させていたのです。

「もう生きたくない、いつまで我慢すればいいのか」という息子の意向をくんだ嘱託殺人で、A子さんは執行猶予5年を言い渡されていました。

その後、A子さんは精神疾患となり通院治療中に、夫に包丁を渡し、死の依頼をしたのです。

この事件は「悲劇の嘱託殺人連鎖」として大きくマスコミで報道されました。

 

保護欲求と庇護欲求

このように介護者が孤立し追い詰められ、事件に至ることが最近増えています。

孤立した家族だけの密接なつながりには、強い保護欲求と庇護欲求があります。

保護欲求と庇護欲求を子育てに例をとると、母にとっては子を守るのは自分だけであり、子どもにとっても自分を守ってくれるのは母しかいないと思う感情です。

母の欲求は、子どもに必要とされることです。

このような欲求をもつのは、自分に自信がなく、他人に依存する傾向がとても強いタイプの人といわれています。

 

自立できず依存するタイプの具体的傾向

①大切な人から見捨てられるのではないかと思い、その大切な人を監視したり拘束をする。

②倫理、正義という観念を重視しすぎてしまい、現実的な対応ができない。

③他人から好感を持たれることを優先するため、「いい人」と「何を考えているのか分からない人」という2つの評価をされる。

④恋愛においてはお付き合いがはじまりますが、いざ結婚となると身を引いてしまう。

⑤自分のスケジュール管理ができず、他人の意向を優先してしまうため、仕事が遅れ残業が多くなり上司から注意されることが多い。プライベートではゴミを捨てることができない

⑥ストレスを発散させるために過剰な買い物をする。アルコール、パチンコ、過食等によって、経済的破綻を招くことが多く、借金をしてしまう。

 

以上のような傾向を持つ人との対人関係は、一見するととても強い信頼関係になるように見えますが、実際はとても不自由な関係となり、人間の自立をはばみます。

息子さんから嘱託殺人を依頼されたA子さんは②、③の傾向が強かったのかもしれません。

難病を患っている息子さんは弱者です。倫理観の強い母は、守り抜くのは自分しかいないという強い責任感を持ちます。

人間ですから「疲れて休みたい。誰かにかわってもらいたい」という気持ちになるのは自然のことです。

ところが②、③の傾向の強い人はすぐにそのような気持ちを全否定し、罪悪感で自分を責めます。

このような対人関係の中で息子さんから「生きていく意味のない辛いことばかりが続く人生に終止符を打ちたい」と毎日懇願されていたといいます。

 

死にたい気持ちを乗り越えた人たちの言葉

私は今回の事件と同じような状況に陥りながらも、難病と戦いながら自らの生を積極的に生き抜いている人たちに出会うことがあります。

彼らも先の息子さんのように死を考え、未来に絶望し、辛い日々を過ごしていました。

しかし死を乗り越えた彼らは常に同じ言葉を言います。

「周囲の人たちから生き抜くことを教えられた」という言葉です。

彼らの周りには「この世に生を受けた人間は、生きていく義務と権利がある」という信念を持った人たちがいたのです。

援助者は死の選択を許さず、共に生き、苦楽につきあい、そしてお互いの生を認めながら成長していくことを目標にしています。

対等で自立した人間関係が基盤になっており、生身の人間だからできる生への共感がそこにはあります。

そして、できる範囲で援助すること、自分の限界を知ることは介護の放棄ではないのです。

 

自立を阻む共依存

「人間は支え合って生きていく」ということはそのとおりです。

ただし、①~⑥に該当する人との「支え合い」はニュアンスが変ります。「支え合う」というより「寄りかかっている」という状況になってしまいがちです。

寄りかかって生きていくということは、相手がいなくなると自分は潰れてしまいます。

ですから相手を拘束していく手段を知らずに使ってしまいます。自分の必要性を訴え、相手が逃げないようにコントロールするのです。

 

A子さんの慈愛

息子さんからの嘱託殺人と、夫に嘱託殺人を依頼したA子さんの人生を考えると、孤立して出口のない絶望的な苦しみを背負ってしまったと感じてなりません。

A子さんの娘さんたち宛の遺書には、「孫に風邪をひかせないように」という一文があります。そこに彼女の本当の慈愛を感じます。

 

親の生き方が子どもの将来を決定する大きな要因である、ということを、もっと私たちは考えていかなくてはならないでしょう。